こころの糧
第45回仏教伝道文化賞座談会~み教えを生活に活かす~上巻
仏教伝道協会は2011年10月12日に、東日本大震災の影響で延期しておりました第45回仏教伝道文化賞贈呈式を執り行い、信楽峻麿師(元龍谷大学学長、龍谷大学名誉教授)に仏教伝道文化賞(A項)、A・T・アリヤラトネ氏(サルボダヤ・シュラマダーナ・ムーヴメント創設者)に仏教伝道文化賞(C項)を贈呈いたしました。
お二人を囲んで、仏教と社会の関係について語っていただきました。
敬称略
編集=広報企画グループ
- 沼田 :
- お二人の先生方、本日は本当におめでとうございました。
仏教伝道文化賞も45回を迎え、この上ない喜びです。
スリランカのアリヤラトネ先生をお迎えできたことは、単に日本国内だけでなしに、この仏教の弘がりを顕彰する活動の表れとして喜んでおります。
- 福山 :
- おめでとうございます。
信楽先生はとっくに頂いておるかと思っていました。
仏教伝道協会の理事長を長く勤めて居られたことから、遅れたのだと思います。
これからもますますの御活躍を期待しております。

- 信楽峻麿師
- 信楽 :
- スリランカの先生と一緒に授賞して恐縮しております。スリランカへは行ったことがないのですが、龍谷大学大学院の私のゼミナールで学んでいた留学生の、スリランカ出身のアリヤワンサさんが現在、メッタ幼稚園を開いて日本の幼稚園とも交流しています。そういう意味ではご縁の深い所だと感じ、彼もまたアリヤラトネさんと同じような考えをもっており、共通点があるものと考えております。
私は、宗教を考える場合に一元論的な視点が必要だと思っています。日本の宗教は二元論になってしまっています。この二元論の発想は、これからの人類の未来にとって限界があるのだと、かねがね思ってきたわけです。東洋の一元論的な立場に立たない限り、地球が一つになるとか、環境を良くしようといった問題を含めて、生命の問題まで掘り下げて考えるならば、一元論という立場にたって、政治も科学も経済もひっくるめて捉えるべきでありましょう。お釈迦さまの生きられたように、あらゆる生命を尊ぶことをもう一度再現しないかぎり、人類の未来はないと思う。そこに、今の我々日本の仏教教団がどれだけそのことについて自覚しているのか、それを私なりに模索しながら、仏教の社会性ということを考えてきましたが、道半ばという所です。これからも生命の限りとおもって、励んでおります。仏教伝道協会からお誉めいただき、少し元気がでました。

- アリヤラトネ氏
- アリヤ
ラトネ : - 西洋から学者がいらっしゃいますと、スリランカ、タイ、カンボジア、ラオスなどを訪れて、日本と比較して、違いの方を見つけようとします。物質的な科学的な見方を持った方は、表面的な仏教の流派の違いを強調します。しかし、表面的な儀式などの違いではなく、その奥底を流れる基本的な考えの方を見れば、はるかに共通点の方が多いのです。
私たちが、仏教を基本に社会を見る場合、共通項に立って、社会を考えていくことが最も重要なことだと思います。私は仏教伝道協会が刊行している『仏教聖典』を最初から最後まで読みますが、その内容は私がスリランカで学んだ仏教と何一つ変わるものではありません。大乗仏教と上座部仏教、密教も仏教の教えとして違いはないと思います。
儀式に重点をおいて活動していることに対して、もっと日常生活の実践として仏教を考えていくことが必要だと思います。
50年以上前にサルボダヤ運動を始めたわけですが、目指していたものは、仏教の教えをスリランカの村々で実践しようということを志して始めました。活動の当初から、仏教は心の中の問題であって、実践するのではないという批判がありました。批判もありましたが、社会的にも尊敬されている高僧たちが賛同してくれたことから、批判が少なくなり、多くの僧侶の協力を得られるようになりました。
- 沼田 :
- どのような活動をなされたのですか。
- アリヤ
ラトネ : - 都市部に住む高校生などの学生を農村部へ連れて行き、ボランティア活動をすることでした。貧しい人を助けるということが目的ではなく、むしろ仏教の教えを実践するということに力点を置いて活動しました。50~100人の学生を連れていき、最初にやることはメディテーション(瞑想)です。ラブ・アンド・カインドネス(Love and kindness)という慈悲の心で瞑想することです。優しい慈しみの気持ちというものが、この世界中の全ての生きとし生けるものに行き渡るようにという瞑想です。その次に慈愛の思いを行動に反映させることをします。
その実践として、道が通って居なかった村で道路を作りました。みんなで力を合わせ、労働を提供するという活動を行いました。道が完成すると学校や病院に行くことができるようになります。農民は作物を市場に出すようにできるようになります。したがって、道をつくることによって、すべての人々の生活に貢献することができるのです。
- 沼田 :
- 仏教精神によって、社会貢献を行うのですね。
- アリヤ
ラトネ : - メッタ、カルナー、ムディター、ウペッカー(慈・悲・喜・捨)という4つの原則があります。メッタというのが、ラブ・アンド・カインドネスで慈の気持ちです。それを実際に行動に移す奉仕するのがカルナーです。例えば、2004年の津波によって埋まってしまった井戸を直したり、亡くなった方を埋葬したりという活動です。それによって、喜びをえるのがムディターです。経済的に得にならないことをどうしてやらなければならないのかということを良く聞かれたことがありますが、そういう無償の活動通じて自らが喜びを得るということです。最後のウペッカーは、人と人との間に道をつくってゆくといった、心の啓発、啓蒙、自己開発を得ていくというのが目的になっております。
そういった活動を通して、仏教の教えの4原則を実践していきます。村の人が一体となり、食べ物や農機具、雨露をしのぐ住居を分かち合い、正しい仕事をしていくことによって、言葉が正しくなります。他の人を傷つけない、いたわりの気持ちをもった言葉を使うようになり、そして、破壊的な活動を一切しない建設的な考え方となり、平等を実現するようになります。この3原則が実現すると、また、4原則も実現します。
平和的な活動を続けていくと、他宗教のクリスチャンやヒンドゥー教徒、イスラム教徒であっても協力してくれるようになりました。最初は1つの村からサルボダヤの活動は始まりました。それが10になり100になり、今は15,000の村々で活動が展開されています。これはスリランカの村のほぼ半数にあたる数です。貧困と闘い、村の結束を高め、非暴力的な静かな革命を続けてきたのが、サルボダヤの活動です。
仏教では縁起を説きます。ですから、基本的な立場としてモノと精神を分けて考えるべきものではないというのが、私の信念です。つまり、信仰とは一元性そのものだと考えています。
- 沼田 :
- 日本仏教との共通点が多いことに驚かされました。信楽先生にもお聞きしたいのですが、仏教の説く教義のとおりの活動をしておられると思います。仏教では自利利他ということを申しまして、自分ことだけではなくして他の為に、ということを申します。
アリヤラトネ先生が行っておられることは、大乗仏教でいうところの布施、持戒、忍辱、精進、智慧という六波羅蜜であると思います。
- アリヤ
ラトネ : - スリランカでは方便・願・力・智を加えた十波羅蜜と言いますが、行っていることに違いがあるわけではありあません。私自身も、今回頂いた賞金はすべて寄付します。スリランカのメディテーションセンターのパゴダ(仏塔)建設の為の資金に充てたいと思っています。
- 沼田 :
- 親鸞聖人も農村部に入ってお法りを説かれましたが、いきなり難しい法を説いていないと思うのです。
- 信楽 :
- お釈迦さまは人間の生き方について4つのことをおっしゃっておられますね。まずは布施、利行、そして3番目が愛語、そして4番目が同事(どうじ)です。この同事とは同じことをすると書いてあります。例えば、親が子どもにスプーンで食事を与えようとした時、子どもの口を開けさせるために、まずは自分が口を開ける。それが同事です。全く相手と同じことをやる。これは親鸞の生き方にも見られます。
例えば、関東で布教して回った際、農村の困っていた人だけでなく、鎌倉時代の当時悪人とされていた猟師や商人を〝われらなり〟とおっしゃっておられます。親鸞は実際に商売をしていたわけではありませんが、そこに立って物事を考えておられます。また道元は、愛語について「愛語よく回天の力あり」と、世の中をひっくり返す愛の言葉だと言っています。こういう言葉を、道元でも親鸞でも言い、きっちり対応している。こういった視点が、現代の仏教教団にどのように活かされているかを、私は今まで徹底的に問うてきたわけです。
- 福山 :
- 「愛語というは、衆生を見るに、まず慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり、慈念衆生(じねんしゅじょう)猶如(ゆうにょ)赤子(しゃくし)の懐(おも)いを貯えて言語するは愛語なり」と道元禅師はおっしゃっておられます。皆一緒に、愛し合って生活していくことが根本の意味だと思います。
また、「同事というは不違なり、自にも不違なり、佗(た)にも不違なり。たとえば人間の如来は人間に同ぜるがごとし、佗をして自に同ぜしめてのちに、自をして佗に同ぜしむる道理あるべし、自佗は時に随うて無窮なり、海の水を辞せざるは同事なり、是故に能く水聚(あつま)りて海となるなり」とありますね。
(つづく)







