こころの糧
第45回仏教伝道文化賞座談会~み教えを生活に活かす~下巻
- 信楽 :
- 私が考える問題はね、スリランカと比較してズレがあると思うのは、日本においては政治と仏教が分裂してまったく無関係になっている点です。
スリランカでは社会運動がそのまま仏教へとつながっている。 ところが、日本は社会が成熟してくることによって、それが2つに分かれてしまっています。今日では政治が学校や病院を造ったりする。
奈良時代の行基や空海に見られるように、そういった社会的な活動は仏教活動の中に本来は入っていたのです。しかし、それがズレてきた。現代の仏教教団はもっぱら死者を相手にして、社会的な活動とは分かれてしまっているのです。
政治と仏教がそれぞれの独自性、主体性をしっかりと確立しながら、どこかでは協力、協調しなければならないのです。 それが、スリランカでは見事に成り立っているのですが、スリランカでも将来的には分かれるかもしれません。
日本は元々よく協調していたのが分かれてきたのです。しかし、日本仏教は、スリランカの現状をどうやって捉えるべきなのかを考える必要があり、政治と宗教をどう考えるのかは、これからの日本仏教の将来にとって重要な問題です。スリランカに学ばなければならない点です。
- アリヤ
ラトネ : - サルボダヤでは過去50年以上の活動を続けてきたわけですが、それは、階段を一歩づつ登るような着実な歩みでした。仏教を行動に移す、実践するということについて、6つの領域があると捉えています。
1つ目が精神性、2つ目がモラル・道徳に関する部分。3つめが文化、4つが社会的なもので、人々の心を一体としていくことも含みます。5つ目が経済で6つ目が政治の領域です。この中でサルボダヤは活動を続けてきたわけですが、政治に関して言うと、僧侶が政党政治の活動に参画することを禁止しています。仏教的な政治勢力もありますが、残念ながら本来の意味の仏教精神から外れた権力闘争に明け暮れている所があります。
サルボダヤでは、釈迦が説かれた良い政府のあり方、良い王が持つべき十の資質を守ることによって、政党政治ではない政治のあり方を目指しています。
- 沼田 :
- それら仏教の教えは『仏教聖典』にも説かれている所ですね。
- アリヤ
ラトネ : - スリランカの約15,000の村々のうち、約6,000が地産地消の運営をし、約3,000の村ではガンディーの説くような自立的なあり方を実現しています。私たちには、権力もお金もありませんが、そういう意味では、長い活動の積み重ねの中で本来有るべき開発を行ってきました。
今のスリランカを見ていると、残念ながら、他の国々が辿ってきた同じ過ちの道に入っているように見受けられ、危惧しています。今の政治の仕組みは、ピラミッドの頂点にあり、民衆との距離があります。そういう仕組みではなく、仮にピラミッドがあったとしても、より平坦の、草の根レベルで参加の出来るしくみ。政府が経済の搾取をするのではなく、権力が過度に集中するのではなく、村々が自立した存在であり、それが通信手段によって結びつけられ、そして、智慧のネットワークによって結ばれていく様なフラットな形の社会制度を目指しています。残念ながら政党政治に明け暮れ、殺人なども起きることもありますが、私たちが目指しているのは、非暴力的で参加型で、みんなが智慧を出し合い、総意によって運営されるような政治が必要だと思います。
また、良い方への変化もありました。当時96歳の高僧がサルボダヤへ来られて、「アリヤラトネさんは80歳でまだ若い。しかし、私はあなたより16歳年上ですが、若いころから、あなたから仏教を実践するということを学んだ。」とおっしゃっておられました。そういう意味では、僧侶も社会との関係を学ぶようになって来ているので大きなことだと思っています。
- 沼田 :
- まさにお釈迦さまが説く仏教の精神が、サルボダヤの活動の中で生かされているということをお聞かせいただき、心強く感じております。
- 信楽 :
- 東日本大震災では、私の周辺の学生さんたちも随分と活動しています。しかし、スリランカのような形で、仏教精神を社会に生かすということが日本の中ではなかなかできなくなっている。社会が成熟してきた、世の中が世俗化してきたことにより、精神性というものが欠けてきているのです。ボランティアとして仏教精神は生きているかもしれませんが、それが政治の中心に入って、それを動かすという運動にはなりきれなくなっています。
これは欧米もそうですが、宗教が非常に観念化されてきている。例えば、ニューヨークでも教会への礼拝者は減っている反面、カウンセリングなど精神相談には人が多く行く。それは日本でも同じです。一日に百人近くの自殺者がでています。これは先進国でトップの自殺者率です。5・60代の壮年期の方が多いようです。宗教の関わりが上手く行っていない。成熟社会と言われているが、精神性が付いていっていない。これは仏教教団だけの問題ではなく、政治そのものの仕組みにも関係している。この問題を我々仏教徒は、どう関わってゆくか、宗教と政治がどこで関わりを持つのかという点が問われているのです。妙に関わったら政党政治に利用されるだけです。このようなことは今後においては世界的な問題点ではないでしょうか。
東京電力の原子力の問題について、どう考えるのかも同じです。宗教者はあまり発言していませんが、これはある意味で宗教者の問題だと私は考えています。こういう人間の根本の問題に宗教が深く入り込んでゆくなら、政治が宗教に学ぶべきものがあると、本気になって捉えられるでしょう。このことは世俗化してきた仏教徒の一番の問題で、仏教は世界人類の将来のあり方をどうやって責任をとるのか、仏教が言わないかぎり、政治だけで地球を動かし続けるならば破滅するでしょう。それはもう、目に見えています。宗教のありようが、これからいっそう問われてくるでしょう。
だたし、宗教が集団として関わると必ずだめになります。宗教者が政治団体を作って信者を動員するのは愚の骨頂で、必ずどこかで問題が起きてきます。そうではなくて、信心、信仰によって確かに自立したところの個人的な宗教信者が政治家になる。あるいは経済界に出る。そういう明確な信念をもった人がそれぞれの業界で発言し、行動する。こういう人物を育ててゆくという運動が宗教者としての役目だと思います。大変難しいことですが、親鸞や道元の発想はそういうことだったと思います。人間をどう育ててゆくかという視点に立たない限りどうしようもない。それはもう目に見えている。一人でも二人でも仏教精神を身につけた政治家です。たとえば今日もこの会合に出席されていた杉浦正健元法務大臣のように、「仏教徒として死刑のサインはしない」といった、何か確かな信念を持った政治家が出ればね、ちょっとは世の中が動くでしょう。教育にしても、経済にしても。
- 沼田 :
- 沼田惠範発願者が常々おっしゃっておられた言葉は「世界の平和は人間の完成によってのみ得られる。人間の完成を目指す宗教に仏教がある」です。この深い信念のもとに、仏教伝道協会を設立されましたことを考えると、お二人の先生方がおっしゃられた通りだと思います。例え政治家であっても、どんな職業に就いていようと、信心が備わることが大切だということですね。
- アリヤ
ラトネ : - 私も皆さんの意見に賛成です。サルボダヤのメンバーは、あらゆる政党の党員総数よりも多いのです。しかし、私たちは権力政治には参加しません。メンバーの誰かが立候補しても、議席を得ようと応援することはありません。選挙の街宣車がサルボダヤの近くを通った際、ミーティングなどをしていたら街宣をせずに静かに出ていきます。それは、道徳の力だと思っています。勿論精神的な力もあるでしょう。
サルボダヤでは、最大の時には90万人を集めましたが、その時に行ったのは戦場に向けて平和の祈りを捧げたことです。スリランカでは悲しいことに30年間の内戦が続いていました。私は武器を持たずに戦場に入っていったこともあります。しかし、テロリストと呼ばれた人であっても、私に危害を加えることはありませんでした。テロリストと呼ばれる人も、平和を望んでいるのです。だからこそ平和への祈りが、平和を築く原動力になるのです。ですから大人数の瞑想を組織します。それが、色んなグループのリーダーの考えにも影響を与えると思います。多くの祈りの気持ちを持っていると、怖れることなく、例えば原子力の問題についても発言することができます。 仏法の中に、人間が犯してはいけない5つの法があります。1つがヴィージャニヤーマ、遺伝子、核を操作してはいけないとあります。政府などが核を操作しようとした時、仏法で禁じられているからやるべきではない、と考えます。2つ目がウートゥニヤーマで気候に関する法で、環境破壊をしてはいけないのです。3つ目が因果律です。4つ目が思考とか意志に関するものです。5つ目が、森羅万象のあらゆることに関する関係性の法です。
この5つの仏法は、人間が決めた法より、圧倒的に優先されるものです。私の思いは、権力ではなく、智慧の力の弘まりが、社会を動かすことにあります。仏法の次に人々の思いがあり、その下位に軍隊など政府の力があるのだと思います。スリランカでは伝統的に、王様の行いが良くなかった場合には、軍のトップがこの王様にNOを突きつけることができましたが、日本でもそういったことをやっても良いのではないでしょうか?
何が正しく、何が間違っているのかということを、仏教の教えに従って判断することが今こそ本当に必要ではないでしょうか。
- 沼田 :
- 信楽先生も臓器移植などの問題ではっきりと発言されてきましたね。NOと。
- アリヤ
ラトネ : - そうですか!生命を司る仏の法に反していると私は思います。 医学研究的にはできるかもしれないが、死に方を教えることはできない。諸行無常、万物流転などの価値観を教えるのは仏教です。いつか私たちは死ぬということを知ることが、もっとも重要なことだと思います。
- 沼田 :
- 私たちが日本で聞いている仏教と全く同じですね。
- アリヤ
ラトネ : - スリランカの政府からサルボダヤに医療支援依頼が来ると、看護師などを派遣しています。そこから、メディテーションをしてもらいたいという依頼もあります。
- 沼田 :
- メディテーションというのは、もちろん坐禅に通じるのですが、真宗のお念仏もそうですね。お称えする称名念仏はそのまま聞名念仏として聞かせていただくということで、メディテーションに近い所があるのではないでしょうか。
- 信楽 :
- 仏教の基本はメディテーションですよね。
- アリヤ
ラトネ : - 42種類のメディテーションがありますので、ニーズに合わせて行えば良いと思います。日本で3万人以上の自殺者がありますが、ビジネスマンや若者向けの瞑想を行っていくことで自殺防止に繋がっていくのではないでしょうか。
- 沼田 :
- 先ごろ、ワシントンDCの惠光寺が30周年を迎えました。そこでは、元々はキリスト教だった方が仏教へ帰依して、念仏メディテーションを行います。念仏をお唱えした後に瞑想を行うそうです。
- アリヤ
ラトネ : - 1996年にマハトマ・ガンディー賞をいただいた時、サルボダヤ本部にメディテーションセンターを作りました。そこには、多くの人が世界中から瞑想を学びに来ます。私は今回の受賞によって、仏教徒だけのためでなく、世界全体のために力を合わせて働いていきたいという、その思いをいっそう強くしました。今回の賞金は、受賞を記念してパゴダ(仏塔)の作製をいたします。その落慶の際にはみなさんおいでください。
- 信楽 :
- サルボダヤの活動は、仏教の理想的なあり方だと思います。日本でも近世において、広島県系の安芸門徒などは迷信に頼らず水子をつくらず、あらゆる生きものの生命を大切にしたわけで、真宗の教えと生活が一つになっていました。しかし世俗化した近代の中で、仏教が力を失っていった。本来の仏教の力は、スリランカで行われているような姿です。いよいよ世俗化していく社会の中で、仏教がどの様なことができるのか。沼田惠範発願者がおっしゃられたように、変動する社会にあって、個々の人間をどれだけ育てるのか、これが最終的なものだろうと思います。
スリランカの仏教がきっちりと社会に深く関わり人々を指導しているという現状と、日本の仏教の現状が違っていっているという、このような問題を日本の仏教徒はどう受けて立つのか、こういう社会と仏教ということが、私の生涯をかけての課題であり、その生き様だったわけですが、それが若い人々にどう継いでいもらえるのか、今はただそのことを願うばかりです。
- 沼田 :
- ありがとうございました。世界平和に向けて、仏教を中心に力を合わせたいと思います。
(終)
※この座談会の開催にあたってはアレンジから通訳に至るまで一般社団法人
サルボダヤJAPAN(http://www.sarvodayajapan.org/)の御協力を得ました。








