![]() - 百八つのおもい - |
現代社会では、物質的に豊かになった反面、他人のことにはかまっていられないという人が増えてきました。これは誠に悲しいことで、めまぐるしい情報化社会の中で、大事なご恩ということを忘れ、失ってきたように思うのです。 その要因は「自分は一人で生きている」という錯覚で、人間の迷いの最たるものではないでしょうか。 信仰とは、仏の智慧と慈悲の光を仰ぐところに、今ここに生かされている私のいのちの背景、すなわちご恩を知らされ、「私は一人で生きているのではなく、大いなるいのちの真ん中でささえられ、ゆるされ、生かされて、生きている」と、報恩の心に目覚めることではないでしょうか。 三世十方を貫く不変の真理を真摯に求め、頷き、み教えに身を委ねるとき、決して気付くことのなかった不完全な自己に目覚め、自然にお蔭様と、感謝と慚愧の中に、互いのいのちが輝き、響き合う共存共生の世界が開かれて参ります。 心の闇となる我執の殻を破って下さるみ仏の光を仰ぎ、小さな執らわれを離れ、大きなご恩に生かされて生きて行くいのちに目覚めたいものです。 さて、このコーナーでは『仏教聖典』の中から、日常的に使われる身近な単語を煩悩の数に因んで百八つ選び出し、仏教的な味わいを加えてみました。 これまで出会ってきたいのち、これから出会ういのち、はかり知れないご恩にささえられながら、永遠の今を生かされている私のいのちです。 信仰生活とは報恩の一語に尽きます。今一度「ささえあって 生きるよろこび 生かされるよろこび」報恩の原点に思いを致したい事であります。 お聞きのあなたが、仏陀のあたたかい心に包まれますことを念願いたします。 *ご利用のサウンドプレーヤーのボタンをクリックし朗読をお聞きください。
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